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インターネットの片隅でなにかしら書いてみる

没後50年 三島由紀夫と自衛隊 | NHKニュース

読んだ印象:
 人の記憶は曖昧だったり、記憶の中の主語・述語のあらゆる箇所がそれぞれ独立に突然変異みたく(往々に悪気なく)も変化したりすると思うので、記憶をもとにした伝聞の細部についてそういうことがあったのか、ってとらえ方はしない。
 感じたことは、「同じ考えを持つ若い人を求めている三島さんは、(この人は)そうでないなと思ったらあまり深入りしない、全然粘らなかったんだ」。この記事の内容にしがみつかないしさらっと読み流そうと思っている。有名な人と普通の人との最初の会話なのでまあ仕方ないってこともあろうし、記憶に頼る話は実際にはまた違う(良し悪しいずれ)機微があったであろう。とりあえずエピソード自体はファイリングしたくなるけども、記事タイトルと釣り合うほどの内容ではないかな、そう思った。*1記事のタイトルのほうを変えてみたらどうかな、的なとらえかた。

独り言:
 三島由紀夫って人は学校に通っていた年のころにはとても興味を持っていた。そう考えてはいたけといえども、彼の人となり考え方を調べるとか本を読み込むとか、深くやることはしていなかった、と今感じる、浅かった。浅いままいや浅瀬にすらいないかも。*2

 書いた通り、三島由紀夫って人となりを(結局)全然わかってないので、着眼から変なのかもしれない。。。最近では(頻度でいえばごくたまになれども過50年ということで、異なるソースで同じ話題になる)「東大全共闘との討論」の紹介を聞く目にすることある。思想が正反対なれど対話を組み立てられた?点で少なくともラリーを続ける楽しさみたいなのはあったのだろう。録音録画を聞いててろくにわからないんけんど、直感的あるいは生理的に耳をふさぎたくなる感じではない。*3

*1:釣られたってこと

*2:この点振り返るに、このことだけでないけれども、今、数時間ネットを眺めるだけで今まで知っていたこと以上のことが頭に入ってきて、それに対してさらに思いを巡らせられる。物事を調べる知る学ぶ効率も今昔で差がある。余計なことを合わせて書くと、今自はネットから入ってくる情報に対するフィルタ(もしくはカバレッジ)を働かせることは多少学んでる。

*3:ラジオからjust流れる"論戦"に比べれば。。